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かもねのたかまつ歴史小話(6) かぐや姫と讃岐の古代氏族

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かもねのたかまつ歴史小話(6) かぐや姫と讃岐の古代氏族

 七夕の季節は過ぎてしまったが旧暦の7月は現代(新暦)の8月に該当する。七夕と言えばササに願い事を書いた短冊をぶら下げて軒下に飾るという風習でおなじみだが、香川県には竹との不思議なつながりがある。

 日本最古の物語といわれる「竹取物語」は
「今は昔、竹取の翁というものありけり。… 名をば『さぬきの造(みやつこ)』となむいひける」の序文から始まる。
 讃岐造(さぬきのみやつこ)という人物。童話「かぐや姫」になると「竹取のおじいさん」だが、讃岐に関係した人物なのだ。名前の「造」とは国主のようなもので「讃岐造」は讃岐を治めていた国主だという説がある。


満谷国四郎「かぐや姫」 1909年 笠間日動美術館(茨城県笠間市)蔵

 そして史実でも竹にまつわる氏族が讃岐において存在していた。それが讃岐忌部(いんべ)氏である。
 讃岐忌部氏−−香川県でもこの氏族について語られることはあまりない。三豊郡豊中町笠田竹田忌部に拠点を構えていた品部で、800本の竹を毎年、都に送っていたという。筆者が驚きを禁じ得ないのは竹や笠を作っていた忌部氏がいたと思われる地にそれをほうふつとさせる地名がそのまま残っていることだ。

 この讃岐忌部氏の祖神は「手置帆負命(たおきほおいのみこと)」。「日本書紀」にもしっかりと出てくる神で、天の岩戸伝説では岩戸を出た天照大神が入る社殿を造営したとされる。名にある「手置」とは手で計る、つまりは測量と考えられ、建築の神として祭られてきた。現代でも新築の棟上げでは神主を呼んで祈りを捧げるが、あの神事で祭られているのがこの手置帆負命である。全国で行われており、誰もが一度は目にしたことのある儀式だが、香川県と関係した神を祭っているなどとは知らない人がほとんどだろう。

 今も笠田高校(三豊市)前には忌部神社が現存するが、全国で祭られている神の聖地であるにもかかわらず閑散とした小さな社である。

忌部神社

 手置帆負命は帆の文字があるように、船を作るとも読み取れることから金刀比羅宮(琴平町)との関係も指摘されている。江戸時代には江戸庶民の間では「金毘羅参りに行ったならば併せて岡山県の由加神社本宮(岡山県倉敷市)にも参らなければならない」と語られていたというが、この由加神社は手置帆置命が祭神である。

 奈良県廣田町には讃岐神社という神社がある。竹が群生していたとの記録もあることから、この町では、この神社こそ「竹取物語」の舞台であると主張しており、まちおこしにも一役買っているらしい。この讃岐神社は讃岐忌部氏の氏族の一部が移り住んで建てたものだといわれている。

 香川県の隣の徳島県には阿波忌部氏がいる。この阿波忌部氏の祖神は「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」であり、「日本書紀」では天の岩戸で「粟(あわ)の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿 (ゆう)を用い」とあるように生地を作ったとされる。実際に阿波忌部氏も麻を作る技術を持っていたことから朝廷の祭祀(さいし)では麻織物を献納する役割を担っていて、今でも大嘗(だいじょう)祭で天皇が着用する麻着物は阿波忌部氏子孫の三木氏が縫製して準備することになっている。この阿波忌部氏は麻のみならず開拓に高い技術を持っており、讃岐にも氏族の一部が移り住んできて讃岐忌部氏と共に讃岐の地を開拓したという。所々に麻にちなんだ地名が残っているのはそのためだ。善通寺周辺にも「大麻」という地名が残る。善通寺周辺の土地が地方にしては文化水準が高かったために空海が生まれ育つまでになったといわれるが、その文化水準の高さの裏には忌部氏の開拓があったということが考えられる。

  この讃岐忌部氏はどの範囲までその支配地域を持っていたのかは不明だが、恐らくは高松にも相当の影響を持っていたであろう。このように、何気ない地名から古い讃岐の姿、そこに生きた人々のことが見えてくる。

 かぐや姫の物語からひもといて竹を都に送り続けた讃岐の氏族の姿を見てきた。そしてその一族は建築の神をつかさどり、現代でも新築現場の祭事にその息吹を感じる。

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 このコラムでは知るとちょっと奥深い高松の歴史について紹介していきます。どんな「歴史小話」が飛び出すか、次回もお楽しみに。

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