香川県高松市出身のとある書道家・現代アーティストが今、海外で注目を集めている。
郷祥(ごうしょう)さんは高松出身・在住の書道家・現代アーティスト。5歳で書道を始め、2015(平成27)年、電力会社に勤務しながら師範免許を取得。国内外で活動を続け、2022年には、マネやモネ、セザンヌなども輩出した1648年から続く世界最古の公募展「ル・サロン」への入選や、フランス美術界の登竜門とされる「サロン・ド・アール・ジャポネ2022」のグランプリ受賞も果たした。手がける作品は、「相反する二面性の共存」をテーマに制作しており、見る人に驚きをもって迎えられている。
既存の枠にとらわれない、新しい発想で世界中に書道の魅力を発信し続けている郷祥さん。斬新かつ強いインパクトのある作品の裏には、並々ならぬ覚悟と書に対する熱い思いがあった。幼少期から現在に至るまでの歩みと、その志の源を聞いた。
1. 書道家になるまでの道のり
-書道家・現代アーティストを目指されたのはいつごろからでしょうか?また、そのきっかけは?
幼い頃から書に親しんできたこともあり、将来は書道家になりたいと考えていました。しかし、周囲から「芸術では食べていけない」と反対を受けました。
-そうだったんですね。
当時は周囲の反対を押し切る勇気や実績もなかったため地元の高校へ進学し、総合大学を経て、今の会社に就職しました。責任のある仕事を任され、やりがいを感じていましたが、社会人3年目を迎えた頃、「自分にしかできない生き方をしたい」との思いが再度、芽生えました。
そこで一念発起し、仕事をしながら「日本書道教育学会 大阪書学院」に2年間、隔週で通い始めました。当時は、仕事をしながら課題をこなす日々。1日100枚近く書いていました。その後、試験を経て無事師範免許を取得したものの、同時に行き詰まりを感じていました。
-その理由は何だったのですか?
それは、書の性質に関係があります。一般的に、従来の書道は、古典を基礎としているため、現代人には読めないものになってしまっています。また、白と黒を基本としているため、どうしても単調になってしまいます。つまり、書道の魅力は書道をやっている人にしか伝わっていないのではないかと思うようになったんです。このことをきっかけに、一般的なものとは違った書を制作し始めました。
まず始めに取り組んだのが、書を立体化させることです。名古屋の書道家に弟子入りし、蝋墨書(ろうぼくしょ)を教わりました。蝋と墨は本来交わらないものですが、それを一体化させることで、みずみずしく、立体的な表現になります。次に、白黒から脱却しようとアルコールインクアートと書を組み合わせた作品を作り「東洋と西洋の美術の融合」を目指しました。
蝋墨書を始めた初期から、日本よりも先に海外の公募展に参加していきました。ありがたいことに、2015(平成27)年にはスペインの国際展で国際的な芸術家の証しである「A.M.S.Cスペイン本部芸術家会員」に推挙されました。このことが地元で話題になり、メディアにも取り上げていただけるようになりました。
一方、現状に満足できない自分もいました。それは、文字を書いてしまっているため、どうしても作品を見た時に、文字の意味に引っ張られてしまい、作品本来の良さが100%伝わらないのではないかということです。
-確かにそうかもしれないですね。
本当は、文字が持つ感情や表情を表現したいと思って作品を制作しているのですが、「龍」だったら「りゅう」と言うように、最初に意味から入ってしまいます。もう少し何とかできないかと思い、藍染めや漆とコラボした作品を制作したり、LEDで文字を光らせたりと試行錯誤を重ねました。その中で素晴らしい作品もできましたが、やはり文字を書いているうちは、この問題は解決しないという結論に至りました。
そうした中、「墨流し」(水に墨を流し、和紙に墨の模様を写す技法)という伝統技法を知りました。その時、墨が水に浮くことに衝撃を受けました。このことをきっかけに、文字を書かずに墨で描けることを知り、「墨跡(ぼくせき)画家」としての活動が始まりました。ただ、理想的な模様を出すために墨を開発していたのですが、完成までに3年もかかってしまいました。
-墨作りに3年ですか?
はい。途中で何度も諦めそうになりました。ようやくオリジナルの墨が完成し、2021年11月、高松のイベントスペース「BRIC(ブリック)」での個展を皮切りに、約2年前、本格的に活動を始めました。その後、頻繁に個展を開き、国内外の公募展にも積極的に参加しました。国内外の賞を頂き、状況が目まぐるしく変わっていきました。
BRICで開催された個展のパフォーマンス風景
2. 書道をアップデートしたい
-話を伺う中で、郷祥さんの書道に対する思いに圧倒されます。熱意の源は何なのでしょうか?
私は常々、「書道をより身近に、より芸術的に、より国際的に」したいと考えています。それは書の歴史に関係があります。その昔、書道は美術・芸術として捉えられていたのですが、実は、明治維新の際に「西洋芸術の基準を満たさない」と一度「芸術」から外された過去があるんです。
-驚きです。なぜ「芸術」から外されてしまったんですか?
実は、書が芸術であるか否かは西洋の価値基準で判断するのですが、西洋の芸術の定義としては、1つ目は「アーティストの個性が反映されているかどうか」で、書道は手本がある。手本を見ていかに美しく書くかという点で、個性が反映されていないのではと判断されたんです。2つ目は、明治時代の時には「海外に輸出できるもの」という点でジャッジされていた面もありました。漢字が読めない西洋人からするとその良さが分からないのではないかと。この2点の理由で芸術から外されてしまったんです。
その後、1948(昭和23)年の日展で書のジャンルが復活したことで形式上は芸術に戻ったものの、実態は今でも、東京芸大をはじめ芸術大学には「書道科」がありません。一方で教員免許を取るような教育系の大学にはあります。つまり実用性の書としてかじを切られている現状があります。
-そんな現状だったのですか、知らなかったです。
付け加えると2年前、書道は「登録無形文化財」に登録されました。つまり書道を芸術ではなく、文化として認め、守るという流れになっています。維持するために守られるということは現状維持になってしまう。となると減衰の一途をたどってしまいます。
ですので、私は、書道を「文化として守られる存在ではなく、日本を守る芸術にしたい」と考えて、日々活動しています。
書道が「芸術」として世界から認識されるためには、大前提として西洋美術史に接続しなければなりません。そして書特有の手本から離れること、過去にないものを作ること、美術評論家に評価していただくこと、マーケットに作品が流通することなども必要です。書道が芸術として認められるにはまだまだ長い道のりですが、誰かがやらないといけないと思っています。
3. 3つの顔と1つのスローガン
-郷祥さんが入選し、注目を浴びるきっかけとなった、1648年から続く世界最古の公募展「ル・サロン」ですが、このコンテストに応募したきっかけ、受賞後の今の気持ちをお聞かせください。
日本国内に限らず、海外の方にも驚きと感動をもって迎え入れていただきたいと思って活動しているので苦心して制作した作品が海外に認められて素直にうれしかったです。一方で賞は単なる結果にしかすぎないとも思っています。むしろそこに至るまでの過程だったり、そこからつながっていく縁だったりというものの方が自分にとってはすごく大事だと感じています。この「ル・サロン」も含め、今までのどの歩みが欠けても今の自分はないと感じています。
実績に目が行きがちなのは仕方ないのですが、書が置かれている状況だったり、自分の活動の根源だったりするものは話さないと分からないもの。実はこんな思いを持って活動しているんだということが伝わっていたらうれしいです。
-個展を出したり国際公募展に出品したりしている一方、うどん店のために屋号を書かれたとも聞きました。身近なところでも活動されていますね。
はい。現在は3つの顔で活動しています。パフォーマンスや会社の屋号を揮毫(きごう)する「書道家」、ホテルのインテリアアートなどを描く「墨跡(ぼくせき)画家」、書を芸術にするという活動である「現代アーティスト」、また、今は忙しくてできていませんが、過去には美文字レッスンや筆跡診断などもやっていました。落ち着いてきたらまたやりたいなと思っています。
-活動の幅が広くて驚きました。我々が目にするのは墨跡家などの活動がほとんどですが、美文字レッスンや筆跡診断などもやっていたのですね、意外です。
「書道をより身近に、より芸術的に、より国際的に」というのがスローガンなので、できることはいろいろやっています。「より身近に」という部分では、パフォーマンスを見ていただいたり、会社の看板を書いたりしていることがそれに当たると思います。「より芸術的に」と言う部分では現代アートなどです。そして、それが結果的に国際的なものになればいいなと思い公募展に出しています。
4. 「相反する二面性の共存」原点は歩道橋
-ホームページにも掲載されている制作テーマ「相反する二面性の共存」これは具体的にどのようなイメージなのでしょうか?
このテーマを抱くようになったきっかけは、実は小学生にさかのぼります。実家の近くに歩道橋があるのですが、ある日、その歩道橋の真ん中で立ち止まったときに「これだ!」と思い浮かびました。
ここには歩道橋の真ん中で立ち止まっている自分「静」と絶え間なく走り続けている車「動」が共存していると感じました。また歩道橋は高さがあるため、落ちたら死んでしまう。つまり生と死も同時に共存しています。この歩道橋での気づきがきっかけとなり、「相反する二面性の共存」について考えるようになりました。そしてこれが自分の美意識だとその時気がつきました。
最新の現代アートも「白と黒」「描くと削る」「直線と曲線」で構成されており、それも両極端。二面性です。両極端が合わさった時に化学反応が生じ、爆発的に新たなものが生み出されると思っています。過去の作品も、振り返ってみると、蝋と墨に始まり、書道(東洋)とアルコールインク(西洋)、LED(デジタル)と書(アナログ)など私の美意識が反映されていると感じています。
「サロン・ド・アール・ジャポネ2022」でグランプリを受賞した「HARMONIE」
-「相反する二面性の共存」とはそういうことだったんですね。
はい。加えて、「相反する二面性の共存」は、「和の精神性」にも通ずるところがあると考えています。
私の中で、和の精神性とは、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉「和を持って尊しとなす」だと思っていまして、和とは日本のことで、和の意味は調和する。これは二面性の共存に近いものがあります。
われわれ日本人は仏教をはじめ、七五三、初詣、ハロウィーン、クリスマスなど、いろいろな文化を排除することなく一度受け入れて、自分たちのものにアップデートしています。
二面性の共存とはまさにこのことで、私がやっていることも、両極端にあるものを溶け合わせて、そこから生まれてくる化学反応やまだ見ぬ世界に重点を置いています。つまり相反する二面性の共存は、和の精神性の「調和」というものに非常に親和性があって、むしろ=(イコール)なのではないか? また、それを日本古来のものである「書」という形で表現しているので、和の精神性も合わせて国内外に広めていけたらと思っています。
「藍染」とコラボした作品
5. 書が芸術になる未来へ
−郷祥さんが関わっている香川県のプロモーション企画が新たに始まったと聞きました。
はい、「真・KAGAWA」という企画です。「本当の香川県の魅力を知ってもらおう」ということで「しん」の読み方に合わせて「新」「深」「心」「浸」のテーマで香川県の観光スポットや特産品を紹介する動画が制作され、それぞれの文字を揮ごうしました。動画では香川を紹介する映像とともに制作風景が流れます。香川県の魅力をさらに知ってもらうきっかけになればうれしいです。
-今後やっていきたいことや目標を教えてください。
書を真の芸術にすることが目標です。そのためには、書特有の手本から離れ、西洋美術史の文脈に接続し、唯一無二のものを作る。その上で作品を発表して、コマーシャルギャラリーで認めていただく。そして、美術評論家の方から批評を頂き、コレクターの方に購入していただく。これができて初めて海外に行けるので、そのステップを着実に踏んで、書を海外の方にも認めていただきたいと思っています。直近の目標で言えば、2025年は一つの節目ですね。その年は大阪・関西万博や瀬戸内国際芸術祭があるので、何らかの形で関われたらいいなと思っています。
-目標というよりは、アップデートをしながら活動を続け、認めてもらい、広めていくということですか?
おっしゃる通りです。でも今の時代はSNSというのもあって、こういった正攻法以外にもメディアの力やバズりで認知されて、一足飛びにいく場合もあります。ですから、セルフプロデュースもするし、メディアに取材していただくこともするし、正攻法でギャラリーの方にお願いすることもあるし、全方位的に行っています。根底にあるのは「芸術にしたい」という思いからです。それがなければ今の活動はしていないと思います。
-こう聞くと、今や芸術家の方もいろんな方面を見ていかないといけない時代ですね。
今の芸術は「総合力」です。作品がいいのは当たり前。加えて人間性も見られていたり、時代の潮流もしっかり読んだりしていなかなければなりません。
6. 高松経済新聞と読者へメッセージ
-最後に、郷祥さんは社会人3年目までは安泰と呼ばれる道を歩んだと思うのですが、その後「自分にしかできないことをしたい」と書の道にチャレンジしたと思います。やりたいことはあるけど、挑戦するのに戸惑っている方に向けてメッセージをお願いします。
1つ目は「意志があるところに道は開かれる」です。情熱を持って行動していれば、周りの人は必ず見てくれています。だからこそ諦めずに信念を持って突き進むことが大事だと、最近はつくづくそう思っています。
2つ目は「いつ来るかわからないチャンスのために日頃から準備しておくこと」です。チャンスはいつ来るか分からないからこそ、いつ来てもつかめるように備えることが大事。そして継続していないとチャンスをチャンスと捉えられないので継続が大事だと思っています。
現在私は「書道家」「墨跡画家」「現代アーティスト」の3つの顔で活動しています。いろいろな方に支えていただいてこの活動ができているので、険しい道ではありますが今後も一歩ずつ前進し続けていきたいです。
編集後記
インタビュー中、郷祥さんは一貫して「書を、より身近に、より芸術的に、より国際的なものに」「誰が見ても驚きと感動をもって迎えてもらうこと」と話し、幅広い活動をする中で共通する一本筋の熱い志に胸を打たれました。
手本通りに書くのが書道。そんな概念が大きく変わる時代ももうすぐかもしれません。
高松経済新聞は今後も高松を元気にするような方々と、その取り組みを取り上げていきます。次回の更新もお楽しみに。