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【高松を元気にする100人 VOL.2】大西秀人市長【屋島をもう一度高松のシンボルへ】

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高松を元気にする100人 VOL.2 第16代高松市長 大西秀人さん

 「高松を元気にする100人」第2弾、今回の主人公は、今期で4期目を迎える大西秀人市長だ。

 25年間に及ぶ官僚生活に別れを告げて、2007(平成19)年に舞い戻ったのは生まれ育った丸亀市ではなく、その隣の県都・高松市。平成の大合併を経て大きく変わろうとしている街、少年時代には憧れのまなざしを向けた街を任された。

 人口集約型のまちづくりを目指し、反対する地域住民との対話集会にも奔走。さらに廃屋が立ち並ぶ観光地の再興、データを利活用した「スマートシティ」事業の促進と、その手腕を発揮した。一方、プライベートでは音楽やスポーツ、書道も楽しむ――そんな、あふれるバイタリティーの持ち主でもある。

 「高松市は、これからさらに素晴らしい都市になる。その可能性を持っている」――。

 日に焼けたキャプテンは国を見据え、世界を見据え、瀬戸内海から大きく舵(かじ)を切る。

終始和やかな笑顔でインタビューに応じる大西市長

1.国家公務員からの転身

-元々は丸亀市の出身で、社会人となってからは官僚として東京で過ごされていたと思いますが、最初に市長の話があった際は、どのような心境でしたか。

 私の生まれ育ちは、当時でいう綾歌郡飯山町。今は丸亀市と合併して丸亀市飯山町と呼ばれています。高校までは飯山町で育ち、大学から東京へ行って、1982(昭和57)年に自治省(当時)に入りました。それから約25年間、国家公務員として過ごしていたわけです。自治省は、今は総務省になりましたけれども、要は県とか市とか、そういう自治体の行政をやっている部署なんですね。その関係で転勤が非常に多くて、最初は宮城県の仙台市で始まって、後は北九州市、岐阜県、北海道、島根県と、いろいろな地方へ行きました。

 そうした中、2006(平成18)年の9月頃でしょうか。高松市議会で増田昌三前市長が引退を表明されまして、じゃあ次の市長は誰にしようかというところで、私に白羽の矢が立ったようです。やっぱり、最初はびっくりしましたね。小さい頃の高松は一番身近な都会というか、憧れの都市でしたので、そういう市の市長になるのはありがたいお話だと思いましたけれども、私の出身は高松ではないですし、土地もそれほど詳しいわけではないので、なかなか難しいのではないかと。返事は非常に迷いました。

 ただ、元々社会人になって自治省へ入ったのは、地方政治、地方行政というものに携わりたかったという思いが強かったからなんです。ですので、自分自身が権限と責任のある立場になって、地方行政を行えるということであれば、これは一つの大きなチャンスじゃないかと考えまして、結局その申し出をお受けしました。2007(平成19)年の4月、の選挙で当選させていただきまして、今は4期目、15年目ということになります。

2.「新しいまちづくり」のスタート

-市長になったばかりの頃は、やはり慣れないことや苦労をしたことも多かったと思います。当時はどんなところで苦労しましたか。

 市長職の忙しさは想像以上でしたが、大きな苦労というものはありませんでした。と言いますのも、ちょうど2005(平成17)年と2006(平成18)年に、高松市は周りの庵治、牟礼、香南、塩江、国分寺、香川6町と合併をしたんです。面積は倍近くになりましたし、人口は3割ぐらい増えまして、かなり大きな都市になったんですね。合併した町には魅力的な資源がたくさんありました。例えば、庵治町には大きな漁港がありますし、牟礼町にはイサム・ノグチの庭園美術館があります。香南町には高松空港、塩江町には温泉郷があるし、国分寺町は盆栽、香川町は園芸農業が盛んであると。それぞれに資源が多かったので、高松市は従来以上に、可能性を感じられる都市になっていたんです。

 2006(平成18)年の3月には、第1回となる「高松国際ピアノコンクール」を成功させていて、国際的なピアノコンクールを成功させるぐらいの文化的な都市になろうとしていた頃でもありました。

 そんな、「今から新しいまちづくりをやるぞ!」というタイミングで就任できたのは、非常にありがたかったと思います。就任後最初の年は、ちょうど高松市が新たな総合計画、まちづくりの基本計画を策定して、2008(平成20)年からスタートさせようとしている時期でした。この計画に初めから携われたことで、自分の思うようなまちづくりの方向性を見せることができたと思います。

初登庁時

 ただ一方で、この計画を市民の皆さんに広く理解していただくという点では苦労しましたね。総合計画の策定では「これから人口が減少することはやむを得ない」「だから今までと同じような拡散型のまちづくりをするのではなくて、集約型のまちづくりをしていかなければならない」ということをかなり強く訴えたんです。「これからは道路をどんどん作って自動車を増やすよりも、公共交通を充実させて、逆に自動車は規制した方がいい」というようなことを申し上げたところ、市民の方からは「市長というものは、人口を増やすのが仕事だろう」「人口を減らすことを前提にして、まちづくりを縮小しろと言うのはあまりに弱気すぎる」というような批判を受けました。それから「コンパクトなまちづくりをするということは、中心部だけがどんどん良くなっていくんじゃないか」「郊外部は切り捨てるのか」といった批判もありました。

 しかしそれは、説明して分かっていただくしかない。ということで、総合計画の原案が出来上がった頃、夏の3カ月の間に、市内全域約25カ所へ私が出て行って、市民との対話集会をやりました。そこで総合計画の考え、新しいまちづくりの考え方をご説明して、雰囲気を理解していただけたらと思ったんです。

 その集会は、地域のコミュニティ協議会などを単位に行ったんですけれども、協議会の会長さんからは、「市長あんた、そんなことやったらつるし上げに遭うで」と言われたこともありました。ですが、それでも市民の皆さんに理解してもらわないと、なかなかまちづくりはできない。ということで集会を続けて、結果、多くの市民の皆さんからある程度受け入れていただけるようになりましたし、いわゆる住民参加型の新しいまちづくりの雰囲気も作れたかなと思っています。

-ちょうどその頃に、高松市を代表する商店街である丸亀町商店街の再開発も進みましたね。いろいろな団体の方が声を掛け合って、「自分たちからやろう」とする空気が感じられるようになった気がします。

 そうですね。2006(平成18)年の12月には丸亀町の壱番街が、2007(平成19)年の7月にはドームが完成しました。ちょうど再開発が目に見えて、さあ、これから新しい街が始まるぞというところで、私の市長生活も始まった。民主導の新しい商店街のあり方は、今や全国モデルになりました。

3.シンボル屋島の再興

-市長はさまざまな事業に取り組まれていますが、今、特に力を入れているのが、屋島の山上交流拠点施設だとお聞きしました。今回、この屋島に着目した理由を教えてください。

 屋島は源平合戦の古戦場ですので、国の史跡に指定されているんです。さらに島全体が、植生や生息する動物も含めて、国の天然記念物に指定されています。存在そのものがメサという地形の典型で、「屋根のような形をした島だから屋島」と。昔は本当の島だったそうです。しかも、1934(昭和9)年に国立公園の第1号として指定されている。このときには九州の霧島、雲仙、それと瀬戸内海の3つが国立公園に指定されたんですが、当時の瀬戸内海国立公園というのは非常に狭くて、屋島や小豆島の寒霞渓、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦、その辺りだけだったんです。つまり、屋島には文化財的要素、価値がトリプルでそろっているわけです。風景としても、高松、香川のシンボルとなる、市を代表する観光地だと思っています。

屋島遠景

 屋島が一番栄えていたのは1972(昭和47)年頃。山陽新幹線が岡山駅まで乗り入れた頃です。この頃の屋島の観光客は大体250万人ぐらい。歴史の舞台ですので、修学旅行先として特に人気を集めたんですね。ところが、私が就任した2007(平成19)年頃には、観光客が50万人ぐらい、5分の1くらいまで落ち込んでいました。屋島にはホテルや旅館がたくさん立っていたんですが、それがほとんど廃業していて、廃屋になっている。景観もわびしい姿になって台無しになっていたんです。

 昔の屋島の隆盛を知っている者からすれば非常に寂しい限りでした。屋島は高松のシンボルでもありますから、「これはどうにかしなければならない」と。そこで2011(平成23)年、各分野の専門家を含めた関係者の皆さまに集まっていただいて、「屋島会議」という会議を開きました。この会議で屋島を再生し、活性化するにはどうしたらいいか、いろいろな意見を頂いて、2013(平成25)年に「屋島活性化基本構想」を作ったんです。44の具体的な施策、事業を提案していただきましたけれど、その中心事業の一つが、屋島山上の交流拠点施設だったわけです。

屋島山上交流拠点施設完成イメージ

 そもそも屋島の上には、ビジターセンター(ガイダンス施設)がありませんでした。しかも、昔あった宿泊施設やレストランなども廃屋になっていましたから、それをきれいに整備しながら、新たにビジターセンターのような、屋島のシンボルとなるような施設を作ったらどうだという提案を頂きまして、それに基づいて山上拠点施設の基本構想を策定しました。さらに、施設自体が人々を引き付けるアート的な魅力を持ったものにしていこうということで、設計者を選定する国際プロポーザルも行いました。かなりの数の応募がありましたが、SUO(京都府)という企業に決定して、今は建設工事中です。

 工事中には予定外の岩盤が出てきましたが、屋島は天然記念物ですから岩を削るわけにはいかないんですね。ですから設計変更をせざるを得なくなって、若干工事は遅れ気味です。けれども、来年5月には本体工事が完成し、源平合戦をモチーフとする「パノラマアート」の展示も含めた完成が大体10月頃という予定で、鋭意工事を進めています。

 高松のシンボルのさらなるシンボルとして、ビジターセンター、あるいは特別な展望台のような機能を持たせていますので、今後の観光振興に大きな力を発揮すると思っています。

4.「スマートシティ」、そして「スーパーシティ」へ

-もう一つ、市長が長い時間をかけて取り組んできたこととして、「スマートシティたかまつ」というプロジェクトがあるかと思います。今年は特命チームも発足しましたが、このプロジェクトにとって、2021年はどんな年になったと思いますか。

 「スマートシティたかまつ」は、高松市が2017(平成29)年から取り組んでいるプロジェクトです。国のスマートシティ推進事業の指定を受けて、「スマートシティたかまつ推進協議会」というものを作ってやっています。デジタル化、情報化という流れは20、30年前からありますが、日本では、本当に有効なデジタル化の政策がなかなか十分に打たれていない。コンピューターはどんどん普及しているけれども、人々はそのソフトの面、ネットワークの面で非常に弱いし、行政の分野においても、デジタル化は思うように進んでいないということで、国のモデル事業を活用して、「スマートシティたかまつ」推進事業を進めています。

 「スマートシティたかまつ推進協議会」には、民間の企業や団体を含めた125者が入っています。協議会の中では、防災や福祉、交通、あるいは行政手続きといったいろいろな分野でワーキンググループを作って、デジタル化の推進を進めているところです。

 例えば防災分野では、市の管理している河川や護岸に、水位、あるいは潮位を自動的に取得できるセンサーを設置して、そのデータを市の災害対策本部室のダッシュボードで直接見られるようにしました。ライブカメラを付けていますので、カメラの映像データも見られますし、データを自動的にグラフ化することで、今後の水位や潮位の想定、予測もできるという形です。

「スマートシティたかまつ」全体イメージ

 現在、国は「スーパーシティ構想」を提唱しています。これはデジタル技術を使って、規制改革を組み合わせながら「まるごと未来都市」、つまり新しい未来都市を作っていこうという構想です。今年はスーパーシティの特別区域を指定する全国公募がありまして、高松市はこれまでの「スマートシティたかまつ」の取り組みを前提として、さらに国の指定を受けようと、今年4月に「高松市スーパーシティ構想」の提案を行いました。

 この構想の具体的な提案を作ったのが、「高松DAPPY(ダッピー)」という愛称の特命チームです。庁内手挙げ方式で若手職員を募った組織横断的なチームで、「DAPPY」は「Digital Alliance which is Potential, Powerful and Youthful」の頭文字を取っています。能力のある、力強い若手のデジタル同盟という意味ですが、「脱皮」の意味も掛けています。「高松DAPPY」の皆さんからは、実質的に有用な7分野にわたって、10の先端的サービスを提案していただきました。今は第2期のメンバーになりましたけれども、新たにどんどん分野を広げながら、あるいは提案をより具体的にしながら進めていこうと、活動を続けているところです。

 国の「スーパーシティ構想」は、まだ採択が延びていますけれども、採択されようとされまいと、市としては必要な事業として、できるだけこういったデジタル化、いわゆる「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の事業を官民一体となって進めていこうと考えています。

5.激務の日々でも「心は亡くさない」

-市長は音楽鑑賞やスポーツ観戦、書道といった多彩な趣味をお持ちですが、忙しい毎日の中でも趣味を楽しむコツなどがあれば、教えてください。

 そうですね。市長になった当初は、非常に時間に追われていました。けれども先輩市長などとお話をしましたら、「時間は作るものなんだ」と言われたんです。「与えられるものに追われていたら、どんどん時間もなくなって疲弊してしまうよ」と。「忙しい」という字は「心を亡くす」と書くんですね。忙しいときは心を亡くしているから、自分から先に時間を作って、オンとオフを切り替える。それが必要であると聞きました。それからは、できるだけオフの時間を作るように努力をして、趣味もできるだけ続けるようにしています。

 音楽については、小さい頃から親しんでいました。中学校、高校の頃はロック少年で、ロックの洋楽を中心にラジオ放送で情報を仕入れて、大体月に1枚ずつLPレコードを買う。それを聴くのが趣味でしたね。ガンガンに音を大きくして、音楽をかけながら勉強していましたら、親には「よくあんな大きな音楽を聴きながら勉強ができるな」と言われました。ただ大学生、社会人になってからは、ロックのうるささ、ボーカルのがなり立てる声がだんだん聴きづらくなって。今はもう何でも聴くという感じですね。いずれにしても音楽はずっと好きで、高松市が国際ピアノコンクールをやっていることも、非常にうれしく思っています。

 スポーツは見るのも、やるのも好きです。特に見るのは、野球のオリーブガイナーズ、あとはサッカーのカマタマーレ、バスケットボールのファイブアローズも活躍してほしいなと思っています。それから、スポーツジムに行って泳ぐのも好きです。大体ジムに1回行ったら、800メートルぐらいは泳いでリフレッシュしていたんですが、やはりコロナで、ここ1年ぐらいは行く時間が限られました。外出自粛を市民に呼び掛けている以上、自分がそう自由には行けないということで、運動不足に陥りましたね。体調も悪くなりましたので、やはりスポーツは続けるべきだなと。今はコロナが落ち着いていますので、少しずつ水泳も再開しました。

 書道を始めたのは、もう20年ぐらい前になります。結婚式に行くと、よく筆で名前を書きますけれども、それが下手で下手で情けなくて。もうちょっと筆できれいに書けないかなと、通信教育を始めたのが最初です。東京にいた頃は通信教育だけだったんですが、こちらへ戻ったときに、誰かに習えないかなと話したら、何と一番の大家である小森秀雲先生が「俺が教えてやるよ」と言ってくださって。小森先生に時々見ていただいて、薦められておだてられて、展覧会にまで書を出すようになってからハマりました。

「世界盆栽大会 in 埼玉」で、自作の書を前に

 書道をしているときは、他のことを忘れて集中できるんです。気分転換になるし、自分の満足できるような字が書けたときには、非常に達成感があります。そういう意味では続けたいなと思っていますが、これも時間と場所がなかなかない。大きなものを書くとなると相当なスペースが必要ですので、今はなかなか広げて書けていません。しかし、もうそろそろ復活したいなとは思っています。

6.高松経済新聞と読者へ

-高松経済新聞は今年8月に発足したばかりのメディアです。これからどんどん、高松のニュースを取り上げていきたいと思っています。我々への応援メッセージや、全国の読者に向けた高松のPRなどをお聞かせください。

 今は都市間競争の時代ですね。しかも人口減少、少子超高齢社会です。いわゆる持続可能性とよく言いますが、都市の活力を維持するだけでも難しいのに、それを活性化していくというのは大変な労力が必要だと思います。地方都市が生き残っていく、あるいは活性化していく上で都市間競争というのはますます激しくなってくる。その中で高松のシティプロモーションをやっていくためには、やはり情報の発信力が非常に重要な要素となります。その情報の発信も、ただ量さえ出せばいいということではなくて、質の高い情報を、いかにうまく発信できるか。そして高松らしさ、個性をいかに訴えられるか。そういうことが重要になってきます。

 行政は行政で、「高松はいいところですよ、来てください」と言いますけれども、それだけでは本当に広いところまでは届かない。いろんなメディアが、いろんな角度から上質な情報を届けることによってこそ、高松のシティプロモーションが良くなっていくと思います。ですから、こういったインターネットメディアでいろいろな高松の情報を発信していただけるのはありがたいですし、ぜひとも頑張っていただきたいと思います。

 私は高松のまちづくりにおいて、「創造都市づくり」をテーマにしているんですが、この都市づくりの中では、3つの「指向」を大事にしようと言っています。1つ目は「独創指向」ですね。高松ならではの、高松に合ったまちづくり、そういう思考を持っていこうということ。2つ目は「未来指向」です。これから何をしていくか、どういう方向に持って行くかを考えていこう。3つ目は「世界指向」。国内だけではなく、世界の中での高松という視点を常に持っていこうと。そう思っていますので、メディアでいろんな情報を発信していただく際には、ぜひそのような点を大事にして、発信していただければありがたいです。

 市長になったときにも感じましたが、高松市は今後、さらに素晴らしい都市になる可能性を持った都市だと思っています。ちょうど来年3月には、5回目となる高松国際ピアノコンクール。来年4月からは、こちらも第5回目となる瀬戸内国際芸術祭が、春、夏、秋の3会期に分けて開催されます。コロナ禍での開催ということで、さまざまな制約がありますけれども、デジタルツールを十分に活用しながら、これまでにないようなやり方で、ぜひとも成功させたいです。

 それから来年8月には、屋島の山上交流拠点施設も完成します。コロナでかなり痛手を負いましたが、来年は高松の観光復活に向けて動き出す、本当に大事な年になるでしょう。そういう意味で、我々も努力したいと思っていますし、各種メディアの方々にも、いろんな情報発信の協力をお願いしたい。そして、高松には大規模なイベントが多々控えていますので、全国の方にはぜひ、事情が許せば高松にお越しいただいて、あるいはインターネットで情報を取得していただいて、高松を楽しんでいただきたいと思っています。心からお待ちしています。

編集後記

 大変お忙しい中、市の政策から趣味まで貴重な話をたくさん伺うことができました。「忙しいときは、心を亡くしている」という話は特に心に残っています。市長がまちづくりを進める高松市の、さらなる発展に期待が高まるばかりです。

 次回の更新もお楽しみに!

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