地域で長年愛されてきた和菓子店「浜川三寿堂」(高松市屋島西町)。この店のもう一つの名物だったソフトクリームが今年6月、突如としてその歴史に幕を閉じました。原因は、55年もの間ソフトクリームを作り続けてきた機械の故障。あまりにも突然の別れに、多くのファンから惜しむ声が寄せられています。
今回は、店主の浜川博司さんと、小学生の頃からこのソフトクリームを食べ続けその魅力をSNSで全国に広めた香西志帆さんに話を伺い、多くの人に愛された「名物ソフトクリーム」の思い出をたどります。
(左から)香西志帆さん、「浜川三寿堂」4代目店主の浜川博司さん
インタビュアー: まずは、長年ソフトクリームを作り続けてこられた浜川さんに伺います。この機械はいつから使っていたのでしょうか?
浜川さん: 1970(昭和45)年、私がまだ小学生の頃に父が導入したものです。きっかけは、家族で訪れた大阪万博でした。そこでソフトクリームを初めて食べて「これはおいしい!」と家族一同感動したものです。同じ頃、ソフトクリームマシンメーカーの「日世(にっせい)」が万博と同じソフトクリームサーバーの全国キャンペーンを展開して、父が思い切って機械を購入しました。当時で200万円、車が買えるような値段です。それから55年間、この場所でずっと動き続けてくれました。
サーバーは日世と米スウェーデン社が技術提携して製造したもの
役目を終えた今も店舗の片隅に置かれている
同店のソフトクリーム(写真提供=香西さん)
インタビュアー: 55年間!まさに「相棒」のような存在ですね。
浜川さん: ええ、本当に。父はまるで娘をかわいがるように、この機械を大切に手入れしていました。通常なら20~30年で寿命が来ると言われる機械ですが、これまでに3~4回、部品を交換しながら何とか動かしてきたんです。しかし今年6月13日の営業中、機械の正面にあったネジが折れて元のように使えなくなり、心苦しいですが提供を終えることにしました。今年は大阪・関西万博の年。先の大阪万博をきっかけにソフトクリームを始めた当店としてはメモリアルイヤーのように思っていたのですが残念でなりません。
店の正面に貼られたソフトクリーム終了の貼り紙
インタビュアー: 他に同じ機械を使っている店はないのですか?
浜川さん: 香川県内では観音寺市や高松市扇町にある喫茶店が同じ機械を使っていましたが、どちらも2~3年前までに役目を終えたと聞いています。全国でもこの機械を使っている店は残っているかどうか定かでありません。
インタビュアー: 香西さんがこのソフトクリームの魅力をSNSで発信し、全国的な人気に火をつけたきっかけを作ったと聞きました。香西さんにとって、このソフトクリームはどんな存在でしたか?
香西さん: 私の実家がこの辺りで、親に連れられ物心ついた頃からここのソフトクリームを食べてきました。最近、私も息子を連れて訪れました。私にとって大切な夏の風物詩です。
まちの思い出トークで盛り上がる2人。店がある辺りは「屋島銀座」と呼ばれ、かつて店が並ぶ商店街だった
ここのソフトクリームは形がとてもきれいなんです。そして、あっさりしているのに濃厚で、後味はすっきり。少し粘度のある独特の食感も大好きでした。和菓子店ならではの、どこか和風のテイストが感じられるのも魅力でしたね。今年はまだ食べていなくて、実家に戻る時には食べようと思っていたのですが、知り合いから終了の貼り紙の写真を送られてきて、本当にショックでした。
香西さんが初めて同店のソフトクリームを紹介したX(旧Twitter)の投稿
その後もSNSやネットの口コミで紹介し続けた
インタビュアー: 浜川さん、味の秘訣(ひけつ)はどこにあったのでしょうか?
浜川さん: クリームに和三盆糖や練乳を少し加えていました。モーターが2本のVベルトで固定されていて、踊るように動いてクリームを混ぜることで、あっさり風味のクリームが濃厚な風味とすっきりとした後味を生んでいました。
インタビュアー: 香西さんの投稿がきっかけで、2017(平成29)年頃から全国的にお客さまが増えたそうですね。
浜川さん: はい、本当に驚きました。香西さんの投稿で火がつき、他のグルメインフルエンサーの方も紹介してくれて香川県外、時には海外からも多くの方が来てくださるようになりました。それまでは1日に多くても30本くらいだったのが2倍、3倍の人数が来るようになり、多い日で270本売れたこともあります。
店に貼られた地元小学生による子ども新聞 同店のソフトクリームが紹介されている
インタビュアー: 僕はSNSで終了の貼り紙が紹介されていたのを見てこのソフトクリームを知ったので、食べないまま提供を終了したのが本当に残念です。新しい機械を導入する予定はないでしょうか?
浜川さん: 同じ機械はもう手に入りませんし新しい機械を導入すれば、当然味も変わってしまいます。今の機械は電子基板でコンピューター制御がされており洗浄まで自動でしてくれるのですが、同じ味は再現できないでしょうね。価格を維持することも難しいでしょう。そして何より、私自身の体調の問題があります。なかなか無理ができない状態で新たな機械を導入しても操作を覚えられるか、マシンを長く使えるのかの不安があり、本当に心苦しい決断でしたが、幕を引くことにしました。
香西さん: 子どもの頃からの大切な思い出の味、やはり諦めきれないです…。修理はできないのでしょうか?
浜川さん: 故障の話を聞いてメーカーをはじめ多くの方が修理を申し出てくれました。この機械は元々アメリカ製で、折れたネジも日本の規格とは違うものなのですが、知り合いの鉄工所が「これなら作れそう」と言ってくれました。ですが、壊れたネジがとどめていたのがタンクから注ぎ口までクリームを送る機構で、修理するとなると機械を解体して取り外して付け直す必要があります。以前はマシンの中を抜く専用の機械もあったのですが、10年前に製造を終了したと聞いています。また、古い機械で冷却にフロンガスを使っています。ガスが漏れてもいけないので移動させるのもなかなか難しいです。
折れたネジ
実は「どうしても食べたい」という強い要望があり、ワイヤを機械に巻き付けて固定し、一日だけ機械を稼働させました。しかし、ワイヤでは機械の振動に耐えきれず次第に留めている部分がゆるんでクリームが漏れてきて、やはり難しいと判断しました。
ネジが壊れたことにより正面の円盤部分が浮き上がっている
香西さん: 終了の話を最初に聞いた時にクラウドファンディングで資金を集めてはどうかとも考えました。それから、仕事で大阪・関西万博を訪れた時に当時の味を再現したソフトクリームが販売されていたのですが、味も見た目もここのソフトクリームに似ていました。もう一度会場を訪れる予定なので、また話を聞いてみます。
大阪・関西万博会場で提供されているソフトクリーム(写真2枚とも香西さん提供)
浜川さん: 香西さんのように3世代、4世代にわたって食べに来てくれた家族もいます。今も「もう一度直らないか」と訪ねてきてくださるお客さまや機械は直ったか定期的に聞いてくるお客さまもいらっしゃいます。何とかもう一度提供したいのですが難しい状態です。
店主の浜川さんが語る機械への愛情、香西さんの言葉から伝わる思い出の温かさから食べたことがなくてもこのソフトクリームが何世代にもわたり、多くの方の思い出に残り、愛されてきたことが伝わってきました。同時に、できることならばその味を味わいたいという思いが湧きました。
高松経済新聞ではこの機械の情報を募集しています。もし同じ機械について情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら当編集部までご連絡ください。
高松経済新聞では皆さんの「もう一度食べたい思い出のあの味」エピソードも募集します。高松の「今はもう食べられないけれど記憶に残る味」「もう一度食べたいあの味」がありましたら当編集部までご連絡ください。