勝賀城跡(高松市香西町)が国史跡に指定されたことを記念したシンポジウムが12月16日、香川国際会議場(高松市サンポート)で開かれた。
同史跡は勝賀山(標高364メートル)の山頂部にあり、土塁や曲輪が色濃く残っていることから、近年は発掘調査も行われていた。室町時代から戦国時代にかけて地元で勢力を誇っていた香西氏の詰め城(戦闘になった時に立てこもる城)とされている。今年10月に文化審議会が国の史跡に指定するよう答申していた。香川県で国の史跡となる城は今回で3例目となる。
シンポジウムには300人以上が参加した。大西秀人高松市長のあいさつから始まった。城郭研究者である滋賀県立大学名誉教授・中井均さんが「国史跡勝賀城跡の構造を読む」と題して講演を行ったほか、香川県郷土史を研究する香川大学名誉教授の田中健二さん、徳島文理大学元教授の橋詰茂さんによる講演、埋蔵文化財課職員を加えてのパネルディスカッションも行った。講演の中で中井さんは「勝賀城の築城期が少なくとも2期に区切られる」との見解を示し、今の南西部にある土塁や曲輪(くるわ)が香西氏による築城ではない可能性を提示した。
会場ではこのほか、高松西高校生徒らが勝賀城跡について行ったアンケートの結果も発表した。知名度や興味などについて30代までの若い年代層で厳しい実態があることが課題として取り上げられた。
シンポジウムを終え、高松市埋蔵文化財センターの船築紀子館長は「想定していた以上の人に来場いただき驚いている。史跡に続く山道の草木伐採や整備など、地元保存会の人たちの努力もあり、国の史跡に指定された。今後は若い人にもっと興味を持っていただくとともに、より訪れやすい場所になるように努力していきたい」と意気込む。
聴衆者として参加した地元民の一人は「昭和の高松の子どもたちは歴史といえば源平合戦の那須与一や源義経を思い浮かべたが、他の土地から来た人だけではなく、地元で生まれ、活躍した人たちがいたことを責務として子どもたちに教えていかなければならない」と話す。